ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

死ぬまで生きる私のための備忘録

6月も末、2022年の上半期が終わるそうです。
毎日とは言わずとも週に2回くらいは書きたいことがあるのに、書けないまま過ぎていく。もったいない。自分にとって。

6月は父の3回忌、生きていれば72歳の誕生日、命日とあって、そのせいかよく父が夢に出てきた。すごくふつーに出てくるから、起きた後もなんだか生きてるような気になった。

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私は子供のころから死ぬのが異常に怖い。具体的に言うと小学5年生のある夜から。
戦争とか災害とかと関係なく、なんでもない日常を過ごしているときに、「ああ、自分の命は宇宙から見れば一瞬で消える一粒の光の如し。自分が死ねば生きているときのことなどすべて消え去るのだ」と思うと怖くて怖くて仕方なくなる。
ので、普段はなるべくそのことを考えないように、落とし穴に落ちないように、なるべく身近なスケールで見たり考えたりするように、気を付けて日々を過ごしている。美容室いつ予約しようかなとか、子供の水泳道具用意しなきゃなとか。
それがまったく無防備に、穴に落ちまくってしまう6月だった。
お坊さんの話、読んでる本、自分の健康状態、親戚の話、TVのニュース、子供の言うこと、ありとあらゆる落とし穴に落ちた。どうせ死んでしまうのに、別れたくない大切な人たちがいるなんて、余計に苦しいことなんじゃないかとさえ思った。

 

その沼から生還した。手がかりはふたつあった。
一つ目。人と話していて気付いたこと。
世界には望んで死を選ぶ人がたくさんいるというのに、わたしがこれほど生に執着しているのは、生きていることが自分にとって、とても良いってことだ。私や私の回りのモノや人が、好きってことだ。恵まれてるのだ。


二つ目。昨日、ベランダで洗濯物を干しているときにふと。
20年くらい前にバイトの同僚が自転車でトラックにはねられて亡くなった。私は同じ道を自転車で数分前に通っていた。そもそも電車で通っていた彼女に自転車を勧めたのは私だった。そのとき、死んでいたのは本来私だったんじゃないか。ずっと頭にその考えが残っている。
もしあの時事故にあって死ぬのが彼女ではなく私だったら。彼女はたぶん結婚して(当時も彼氏と同棲していた)子供もいたかもしれない。私は時間堂に入ることもなく、結婚も出産も就職もすることはなかった。
この世に存在しない彼女の架空の子供と、この世に存在している私の二人の子供のことを思うと、いま生きているすべてがボーナスステージで、生かされていて、ありがとうという他ない。そんな気がした。

 

これからも死ぬまで生きる私のための備忘録。

バラは散らずに枯れていた。自分はどちらかといえば、散りたいと思った。