ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

丸くなりました。

人間、40年近く生きていると、丸くなるものですね。



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髪型が 。

 

え?体型も?

 

まぁね。それもありますが。

 

なんだかんだ言って、昔の私からみればずいぶん、丸くなったと思います。

性格が。

勝ち負けで物事を考えなくなった。

許せないと思っていたことも許すことが多くなった。

演劇は、それで食えなくても、楽しく続けられればそれがいいんじゃないかと思うようになった。

 

人は変わるものです。

フェイスラインの髪が繋がるように。

 

悪くない。

【少年Z】今年も群馬にいってきました。

東京駅で、
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大好きな、『はやぶさ』と『こまち』がくっついてた!

 

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 ぼくが乗ったのはこっち。2階建てだよ。

 

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畑でとれたスイカを、おばちゃんのおうちでスイカ割り。とぅ!


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ワンワン、怖かったけど、友だちになったよ。


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初めての桃狩り。

 
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ぼくがおいしくいただきました。

 

ついしん。

帰りの新幹線がとっても混んでて、「つぎからは絶対、『とき』 じゃなくて 『たにがわ 』だ!」って、ママが言ってたよ。備忘録!

 

運が悪い時にやってはいけないこと。

今日は、とても運が悪かった。

些細な掛け違いの積み重ねで、先週から調整していたアレコレや、今日いろいろ考えてとった行動が無駄になった。人との約束も守れなかった。「これがダメでもまだこっちがあるし」とか思った方もうまくいかなかった。

そのときは、とても惨めな気持ちになって、自分を見るもう一人の自分が「あーあ、バカみたい」とか「こんなんだったらアレ観に行けば良かった」とか、しょーもないことを言ってくる。

しかし。

いちばん良くないのは「私はこれ(あなた)のためにすごい努力をしたのにヒドイ!」と自分の努力や優しさの見返りを求めて腐ること。自分が努力や優しくしたのは、自分がやりたくてやったこと。元々、見返りを求めていたわけじゃない。ただ自分が欲しい状態が手に入らなかったから腐ってるだけ。

 

今日の私は自分の惨めな気持ちを、相手にぶつけなかった。正確に言うと、ぶつけそうになったけどグッと堪えて呼吸して「自分が相手の立場だったら」と考えて、思いやることができた(当社比)。

強くなると、人に優しくできる。

人に優しくできると、強くなる。

 

……まぁそれでも、行き場の無い感情はぐぐぐっと内圧を高めてしまうので、相手に当たるんじゃなく、デトックスできるといいよね。

演劇から離れている今、どうやって感情を処理していいか、わからない。

みなさんどうしているんでしょうね?

 


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写真はベンチにクッションを敷き詰めたもの題して「きぼう」


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と、その作者、少年Z。

エゴイストであれ

3時に蚊に刺されて目が覚めて、それから眠れなくなったのでこれを書いている。

と書くとなんだか意味がありそうだけど、子供と一緒に20時台に寝たからもう寝足りてるのだ。

ブログをなるべく書きたいと、頭の中のモヤモヤを言語化したいしそれを後で見返せる形で残したいと、わりと本気で思っているのに気づけば一か月。

 

「人生はバランスだ」ってずっと思っていて、最近そのバランスがまた変化している時期なので、その変化の波をサーフィンしながら「いまの私のバランス」の中で精一杯やろうと思っている。

と思っている、ところで、どこか忘れたけど占いを見たら今年下半期は「変化の時期です」ってことと(だいたいそういうこと書いてあるよね)「エゴイストでいるように」書いてあって、ああ、私は「変化の波に乗る」とか「バランスをとる」とか言ってるけど、いつでも全くのエゴイストなのだ。と気づいてスッキリ腑に落ちた。(ここで言うエゴイストっていうのは、本当の利己主義者って意味じゃなく、自分のやりたいことを優先する、って意味です念のため。)

「今、これを優先したい」「状況が変わったのでこっちに重心を置きたい」って、常に自分のしたいように、自分の意思でバランスを決めている

それを実現するためには、環境を変える努力をする。けっこう粘り強くする。比較的理屈をこねるのが上手なので、まるで正当性があるように聞こえるけれど(それでしばしば誤解を生む)、実のところは「今、私こっちを優先したいんです、この先どうなるかは全然わかりません」という行き当たりばったりのエゴを、最大限の努力をもって通しているだけ。

 

ってことを認識して、うまく伝わるかわからないけど、安心した。

状況がいくら変わっても、自分は自分のその時やりたいようにやっているだけなのだ。

そしてたぶん、これからも。

写真は近所の公園で遊ぶ父子。近所にこんな自然いっぱい(虫いっぱい)の遊び場があったなんてね。都会育ちの少年Zにもたくましく育ってほしい。

演劇の共犯性と、SNS上の感想の話。

劇団きららの『はたらいたさるの話』を観てきました。

うまく生きられない40代も悪くないなと思える人生讃歌で、若い役者さんも含めて素敵でした。人生の厚みが出てるというか。

 

そんで、帰り道に、「自分が演劇を観るときに何を一番求めてるのか」考えていて、

感覚的な言葉でいうと「ワクワクドキドキしたい」なんだけど、

つまりは「共犯性」ってことが大事なのかと思った。目の前にいる出演者と、目の前にいる観客の、共犯性。

そのためには良いストーリーだけじゃダメで、第一声の出し方、つまり観客とのファーストタッチをどうするか、ってことが結構大事なのかと。

そういう点では、きららの公演はファーストタッチがちょっと強引というか、ちょっと無防備に感じました。

あくまでも私が、という話ですよ。

 

なんか最近、ツイッターで「お芝居面白かったって話はよく見るけどつまんなかったって話はあまりない」って書いてあるのを見て、

私も、なんていうか、そういうこと感じてて、それが気持ち悪いんだけど、でも純粋な観客ではない、いつかどこかで関係者になってたりなる可能性がある人な訳で、「面白かった」って書いた方が得じゃん?もしくは、何も書かないか。

つまりはしがらみですよ。狭い世界の。

私も「つまんなかった」はほとんど書きませんけどね、面白かったけど、そのなかでも気になることはあるわけで、無批判で面白いなんてこと、まずない。

無批判は、怖いですよ。

でも、SNSという場所では、ちょっとした批判も怖い。損する。

 

だから、気持ち悪いなーって思うんです。

 

あ、

王子小劇場の隣のいきなりステーキに初めて行きました。

立ち食いかと思いきや座れんのかい!!

そして、もう、しばらく肉はいいです…(-_-;)

ってなりました。とさ。


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