ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

出産にまつわること。1年前の話。

1年前の9月15日、出産予定日だった。
実際に産まれたのは、9月23日。8日後のこと。
1年前の今頃、私はとても不安だった。
その不安を、気軽に話せる相手もいなくて、引越したばかりの新居でひとり、本を読んだり料理をしたり、「傍目にはのんびりと素敵そうな生活」を送りながら、不安だった。
助産師さんにはまだ胎児が降りてこないから階段登り降りとかスクワットしろと言われ、毎日汗だくになって散歩して、団地の階段を14階まで往復し雑巾がけをして、親や友人にメールすると「産まれたのかと思った」と言われ、SNSでも「まだか」と思われるんじゃないかと気になって書き込めず、次第に誰とも連絡を取りたくなくなってきた。

私が予定日を気にしていたのは、自然分娩や「畳の部屋で、助産師の介助のみでの出産」に対する憧れと、それを実現するために何か月も続けてきたいろいろな努力が報われなくなる不安からで、
あとになって思えば、自然分娩だろうが促進剤だろうが帝王切開だろうが(実際には、促進剤を何度も使用して、分娩台で産んだ)、無事に産まれてくれれば何でもいい、と言えるのだが、何しろ初めてのことだし、産院のプロ(助産師さん、お医者さん)や母親学級、善意の周りからの助言、本の知識で「自然!自然!」と洗脳されていた。

運動が良いだの食べ物が良いだのアロマが良いだのヨガが良いだの、そんな情報が溢れてる。
それ自体に害は無いし、一部の妊婦さんにとっては有益なんだと思うが、
「もっとテキトーでいい、何だっていい、どんな努力したって、痛いときは痛いし、努力しなくたって痛くない人は痛くない。予想外に早く産まれたり遅く産まれたりもする。なるようにしかならないし、それで、十分すごい。十分奇跡だ。」
って、
言ってあげる人がいたら、もっと気楽になれたんじゃないかと思う。

そしてこれは、妊婦さんだけじゃなくて、子育て中の母親に対しても同じなんだけど、
ただでさえ不安で大変なのに、いらないプレッシャーかけるようなことは、たとえそれが善意からでも、あまりしないでほしいなあと思うのです。
十分すごいんだから。それでいいじゃない。って、いってあげられる人が、周りに居たらいいなぁと思うのです。

たかが1年。されど1年。
やっと思い返すことができた話。