ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

祈りのようなもの

暗いニュースが、なにか良いものをもたらすとすれば、その事象によって私たちが何かを深く考え、あやまちを正し、未来を少しでも良い方向へと変えていくことでしかない。

悪を悪だと言うのはたやすく、なぜその悪が生まれたのか、とか、悪に対してどう対処したら改善するのか、とか、考えなければならないのはそっちの方だ。

殺されたひとやその家族に、「迷惑をかけたのだから謝れ」という人たちがいて、さらにはそれに賛辞を送る人たちがいる。その人たちは、いったい、どんな迷惑を被ったのか。具体的に。その事件の被害者のせいで息子や娘が殺されたりしたんでしょうか。それはほんとうに、被害者の方々のせいなんでしょうか。

安全な場所で、「迷惑をかけずに」生きている、つもりの、テレビの前やネット上で上からあーだこーだ言っている、大多数の、人びとが、
良くない方へ良くない方へと進む大きな流れを加速させる。たぶん。

もしも私が、もっともっと純粋で清らかな精神の持ち主であったなら、こんな絶望的な世界で生きていくことはできなかっただろうと、久々に感じている本日。
私は運良く、鈍感に生きていけるようにできている。
今日も、寒い寒いと文句を言いながら、愛する家族と一緒に毛布にくるまっている。


あしたは小さな幸せが、ひとつでも多く、世界に生まれますように。