ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

ポップな殻を被った死体たち

六本木ヒルズ森美術館
アネット・メサジェ展を見に

ひるずなんて正直行きたくないんだけど これは見逃せません
案の定「展望台ついでに展示もみとくか」ってなんの興味も無く無駄口をたたいてまわる人々多数

この人の作品、
動物の剥製にぬいぐるみを着せたり、ぬいぐるみと毛糸をからませたり、
たぶん表面的には かわいらしい ってイメージで見に来ているひともいると思うんだけど
これがすごい
心底怖い
思わず見ている間 自分の体の一部をぎゅっとつかんでいる くらい、怖い
剥製にしても鳥の死体にしてもぬいぐるみにしても、
とにかくそこにあるのは 死体 臓器 それらが累々なんだけど
正直グロいんだけど
作者の視線が、なんというか、死体や臓器たちを「自分と異なるもの/あっちの世界のもの」として見ていなくて、
どちらかというと「自分=死体=臓器=生殖=生きている」っていう、全部同じところに立っている感じがする
それも含めて怖くなる



という とても興味深い展示だったのですが、、、、
ひとついいですかね
音声ガイドというやつを、ほとんどの人が使っていて、
いや別に音声ガイドを使うこと自体は別に悪いこともなんにもないんですけど
ほとんどのひとが、作品の前に立ってガイドを聞いてるだけで、
作品を見てないんですよ!! 見るって言うのは、ちゃんと見るって意味で
たぶんガイドを聞いて「正しい解釈」を知って「わかった気になる」
「あーあのオブジェは○○をあらわしているのね」とかって
それで満足して帰る
「正しい解釈」を教えてもらえないと、
「んー あれは何なんだろう よくわかんないなー」
ってなって、不満足 なんだろう


合ってるとか間違ってるとか
わかったとかわからないとか
そんなのどうでも良いから、
自分の眼で見て、
自分の心が、
何かを感じるとか
想像が広がるとか
そういうことがなければ
(そうする気が無ければ/
 心を使って見ようとしなければ)
芸術作品を見る意味は無い
美術に限らず


と思うんですけど