ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

俳優、ヒザイミズキの思いつきと思いなおしなど。あと告知と親バカ。(はてなダイアリーから引っ越しました)

神は細部に宿っていた

「アール・ブリュット/交差する魂」
を観に 汐留の松下電工ミュージアムに行ってきました
アウトサイダーアートとういうやつ
話には聞いていたけれど観るのは初めて

誰かにみせるためではなく、ましてや生活のためでもなく、
とにかく 描きたいから描く ということ
もしくは
描かなくてはならない という(神とかの)啓示によって 描く
それって、あたしがちょっと前にブログに書いた、
「その人にとっては 描く ということが 生きる ということと ほぼ同義である」
ということに一番近い気がした


彼らの作品を見ていて、
本当に「作家」と呼ばれるひとたちの作品(それだって好きなんだけど)と
あるいは自分が何かを創作したときと
決定的に違うのは
「細部への執着」
のように思った
彼らが執着し、描きたいのはあくまでも「細部」であり、
それが無意識に(無自覚に)積み重なったものが「作品全体」となって
観る人に衝撃を与えている
この、「細部」の積み重ねによって「全体」を浮かび上がらせるという作り方は
わたしも趣味で絵を描いていたときに試みたことがあるのだけれど、
どんなに「細部」にこだわろうとしても、どうしても頭では「全体」を考えてしまう
全体を意識して、細部を積み重ねる バランスを取ってしまう
もちろんそれが悪いわけではないし、そういうやりかたで素晴らしい作品もあるのだけれど、
でも、
これは演劇でも一緒なんだけど、
調和の取れた意識的な部分よりも、その人の無意識がボロボロと出てしまうような瞬間に、
心は動く のだと思う
「細部への執着」と
「無意識に構築される全体」


ただ、この展示でいろいろ解説を読んだんだけど、
「日本でもっとアウトサイダーアートを認めよう」みたいな感じがあり、
そういう運動とか、それによって付加される名目や価値って、
とてもいらないというか、
権威付けされたら嫌だなと思った。
価値を認めようとすれば、名前が一人歩きして
そのうちそのものの価値がわからなくなるという矛盾。


それでもオススメします。展示は7月20日まで。
これで500円はお得です。興味がある方はぜひ。