ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

辺見庸「ゆで卵」

1冊のうち半分くらいが地下鉄サリン事件の朝に駅に居合わせた作者の体験を書いたっぽい表題作、残りはすごく短い短篇(なんかの連載?)。
面白かったり不快だったり単に面白くなかったりした。その「不快感」について、読者や批評家から大変なブーイングを受けたらしい。納得。
私は、全体として、ちょっとびっくりした。いい意味で。
何にびっくりしたかというと、私の平凡な日常、ひねくれまがったり斜に構えたりしてても結局善にも悪にもならないしょうもない日常で、それでも人の死やら何やらを目の当たりにした時ぐいーんと振れる針みたいな、決して村上春樹的にももちろん龍的にもなりえない詩情のなさやら、そういう感性にぴたりときた。
作者はそういうしょうもない感性の持ち主であり、かつそれを詩情で飾ろうとせずにそのまま書いている。しょうもない感性で湧き上がるものを、「このままじゃなんだから」と安っぽい詩情で飾りたくなっちゃうのが凡人の凡人たる特徴であるならば、その点に於いてこの人は凡人じゃない。

でも、そんなにしょっちゅうは読みたくない。