ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

年忘れ・年汚し・年の残骸

昨日書きましたが、今日は今年最後の稽古だったのです
「乞うご期待」とか書いちゃって 結局今日も真っ暗な迷宮を時々見えるささやかな明かりを目当てに手探りで彷徨うこと彷徨うこと
…ま、それは、いい
いや、良くない 良くないんだけど、やらなきゃいけないことはわかってる
稽古終了後、演出ともう少し話がしたかったのもあり、「忘年会」へいったのが間違いだったのか?
一応忘年会だから、というわけで、言いたいことがある人はぶっちゃけちゃえ!みたいな話になったとき、普段口数の少ない劇団員で共演者のGさん(35歳♂)が私に言いたいことがあるらしい それまで普通に飲み会ノリで話していたのが、急に「おろろ、駄目出しか??」という不穏な空気に 
Gさん曰く、私の芝居を見ていてとてももどかしくなるらしい 演出がこれくらい(高い位置)を要求しているのがわかっているのに、恥ずかしいのか、毎回これくらい(中途半端な位置)でしかやらない。それが自分だと言うけれど、僕からしてみると自分って物を大事にしすぎているんじゃないかと。思い切ってやって見ればいいのに。
絶妙に最悪なタイミングで、最悪な状態で、しかも完全なる無防備で他人の言葉を受ける、という体験が今までになかったわけではないけれど、久しぶりに前後不覚になった Gさんの言ってることは何が誤解なのか、私にとって今はどういうときなのか、どういう道筋でゴールにたどり着こうとしているのか、「恥ずかしいからやらない」んじゃなくて「その状態」になっていないと「そのせりふ」はどうしたって言えないんだってこととか、演出の要求をわかってるかどうかわからないんですよ何故なら私は初参加で共通の言語を持っていないから同じ言葉を吐いても違うイメージを描いている部分が多々あると思うから、とか、きちんと話したいのにくやしくてくやしくて涙がとまらない たぶん私がちゃんと話せる状態なら(っていうか稽古場で言えよ)大人な対応だってできるのに、不意打ちとは卑怯なり!しかも私とGさんはきちんと話したことほとんどないのにいきなり土足で踏み込むとはこのことだ!などという(芝居以外での)悔しさも手伝って、しかしこのまま年を越すわけにはいかないので泣きながら必死に説明する Gさんは怪しいが、わかってくれた人・そうでもない人・「結果見せればいいんじゃん」という人 だからそんなのわかってるんだって!!わざわざ飲み会で言われなくてもさ!
私にも気を遣いつつ話を進めてくれる演出や時々的を少しだけ外れたことを言って和ませてくれる人たちのおかげでギリギリ涙はとまってお開きに 帰りの電車で座長のHさん曰く「毎回何かしらこういうことがある」そうで、「これで何にも感じないような子はだいたい(役を)降ろされる」らしい とりあえず合格か??いや、こんなことしなくたってあたしちゃんとやるんだけど…

とりあえず「良いお年を!」って挨拶はするけどそう簡単に年忘れないよ むしろ今年の残骸が鮮やかに浮かび上がって来年へと突き刺さったところで今日はここまで!