ヒザイミズキの、日々の旅 ブログ編

(元)俳優、ヒザイミズキの日々は旅のように。

飯能入り、と、休業宣言。

入院のことばっかり書いてるうちに、もう今週末本番です。

日本×フィンランド演劇プロジェクト『行こう!野ウサギ』@飯能市民会館

 初めてきた飯能は、自然だらけで紅葉が見頃です。


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ちらほらと口に出してることですが、この作品の早稲田公演を最後に、しばらく俳優業からは離れるつもりです。

自分のやりたいことは全部やる、で、生きていこうと思ってたんですが……、もう無理だな、いろいろ、ってはっきり思ったので。

 

時間も体力も心も有限だった。分身は出来なかった。それが、腹落ちしたということ。

 

金輪際やめる、という決意はないですが、再開する予定も特にありません。いつ状況が変わるかなんて、全然わからないし。

時間があまりかからないような、単発のイベントとかリーディングとか、子供向けの読み聞かせならあるいは、と思うけども。

 

そんなわけで、ひょっとしたら最後になるかもしれない舞台が『行こう!野ウサギ』なわけですが、

初めて台本読んだときから「やりたい」と思っていたシーンがあります。観たらわかってもらえるかな。出番は多くないですが、やれて嬉しいな。といつも思っています。

 

良かったら、見にきてね。

▼飯能公演 予約

 https://www.quartet-online.net/ticket/jftp17hanno?m=0achdhd

 

▼早稲田公演 予約

 https://www.quartet-online.net/ticket/jftp17waseda?m=0achdhd

 

 

脱腸日記その3 入院生活本番編

その1、その2はこちらから。↓

 

zaikichi.hatenablog.com

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11/3、祝日。
夜通し痛みと戦ったのち、朝、痛み止めを口から飲んでひとごこち。身体を拭いてもらい、手術着からパジャマに着替えると嗚呼、なんて生きた心地がするんだなんか、大事。そういうの。
緊急入院だったため、全く入院生活の説明を受けておらず、ここで初めて書類を熟読。中野とは聞いていたが、地図を見ると思い出深「中野光座」跡地のすぐ裏だった。いいことも悪いことも、色々記憶が甦る。
朝、息子とテレビ電話。ママはお腹が痛いのよ、と言うと、「痛いの痛いの遠くのお山に飛んでけ~」。自分もママがいなくて寂しいだろうに。
昼、初の食事。最初は粥だろうと思ったら、ご飯おかずにバナナというフルコースでびびる。持ち前の食い意地を発揮して完食。午後には点滴取れる。

夕方、母が息子をつれて面会に来てくれた。「お子さんは面会のとき必ずマスク着用」と言われ、子供用のマスクを手配しておいたのに、病室の外で「いやーだー、ましゅく、だいしゅきじゃないの!」と抵抗する声。仕方ないので談話室へ。会えて嬉しい。けれど、ふいに手術の傷口に息子の手が軽く当たり、いてててー!!、となる。身の危険を感じ、それから手はずっと握っていた。明日退院して大丈夫だろうか。
夜、少しでも身体を慣らすために上の階へ。物干し用の屋上があって、ドアを開けると外に出られた。思いがけず、生ぬるい夜風と中野の夜景を味わう。
手術前はぜんぜんイメージできておらず、「(手術の)翌日とかに退院できるんですか?」とか聞いたら「いや、翌日は無理じゃないですか、手術なんで。まあ無理やり帰る人もいますけど」と言われた。実際になってみると、帰るなんてとんでもない。今が入院生活本番というところ。
稽古場から近い病院に運ばれたので、家までは1時間くらいかかりそう。電車やバスを乗り継ぐか、タクシーか本気で悩む。
 
(まだ続く、、かな?)

写真は初めての食事。この時が一番おいしかったな。そういうもんか。

脱腸日記その2 手術編

前編はこちら。↓ 

zaikichi.hatenablog.com

 

 11/2

救急から病棟に移ったのが2時ごろ?で、ほとんど寝られなかったが6時には起こされる病院の非情。前日からあまり寝てなかった母は明け方帰宅。ケンカしちゃうことも多いけど、こういう時頼れるのは母。恩をどう返していいのやら。

夜中のうちに、夫(朝起きるまでは決して電話に気づかない人種)が起きたら見るようにLINEで報告。心配しているだろう座組の方々にも現状をメールで報告。8時過ぎたら家と会社(上司と総務)に電話。それができるくらい余裕があった。このときは、まだ

その後「3日は祝日だから4日だろう」と聞いていたのが急に「4日がいっぱいで、今日ならできるかも!」と言われて当日手術することに。早く帰宅したいから嬉しい反面、急に焦ってしまう。ヘルニアは戻ったが、穴が空いたままではまたちょっとしたはずみに腸が出ちゃうので、メッシュ素材でふさぐとのこと。全身麻酔での腹腔鏡手術。外科医(イケメン)はイケメンだけど説明がほとんどなく「これ読んでサインしといてねー」で終わり。私にとっては初めての手術でも、医者にとってありふれた手術なんてそんなものなんだろう。手術と麻酔と輸血とその他諸々の確認書にサイン。
午前中、夫が必要なものを用意してきてくれる。

昼頃、すかすかの手術着(すぐはだけてオッパイ見える)と大人用紙オムツ、膝下の白いストッキングに着替えて指輪やコンタクトを外す。植本一子さんが撮影した手術前のECDさんの写真と同じカッコだなーと思いながら、歩いて手術室へ。思ったよりもごちゃごちゃした部屋。手術が終わった直後の人が、切り取られた内臓と一緒に運ばれてくる様に私がびびっていると、看護師が慌ててカーテンで仕切った。アレの次は私の番か。

温風で妙に温かい手術台に乗せられる。ゼリーみたいな枕に脚のマッサージ(血が流れるように圧迫するやつ)。ものすごい安心感を与える麻酔医の笑顔。

自分が人間じゃなくて実験動物になったような心地悪さと、逆に至れり尽くせりのVIPになったような気持ちよさ。そして全身麻酔のビリビリした刺激と、一瞬のもしこのまま帰って来れなかったら」感。すぐに意識はなくなった。
手術後は、とにかく痛い。痛み止をもらえたりもらえなかったり(看護師さんによって違う)。痛いのに、三時間経ったら歩けと言われる(このあたりも出産みたいだ)。結果の説明がなくてまた不安になる。そう伝えたら、忙しそうに写真を見せてくれた。ピンク色の腸に、排水溝ネットみたいなのがついていた。すごい違和感だけど、私はこれからの人生、この排水溝ネットをお腹の中に入れたまま生きていくのだ。
夜、少しだけ息子とLINEでテレビ電話。嗚呼、君の声を聞くときが一番幸せ。
傷口のほかに、姿勢による腰痛や頭痛がひどくて夜通しつらくて寝られない。今朝の余裕はみじんもなくなってしまった。

 

また続く。か。

 


写真は、これから手術、という時の景気の悪いツラ。訳あって、少し泣いたあと。

 

 

否が応でも、自分と家族の、今とこれからの人生を考えてしまう。

ナーバスな時に考えない方がいいのに。

脱腸日記その1 発見編

鼠径ヘルニアで緊急入院した私が病院でスマホにちくちくと書いていた日記帳のメモ。

11/1。
朝から仕事、昼から夜まで「行こう!野ウサギ」稽古。夕飯休憩後しばらくして腹痛。「いつものヤツやな」と思い、まるまったり温めたりしながらトイレや稽古場で二時間以上粘ったが、吐き気もあって手足も痺れ、どうもいつもと違う。皆に救急車呼ぶかタクシー呼ぶかといわれても「いやいやいや」と拒否していたが、どうにもこうにも帰れそうにないし仮に帰っても治る気がしないため、初めて救急車で運ばれて、そのまま入院。冴子が実母に電話をかけたり付き添ってくれたり。
痛みに悶えながら種々検査。その間に食べた夕飯(カレー)全部吐く。終わって救急の神経内科の先生が「腸がむくんどる。腸炎だろう」という。が、CT画像を見ていた若手の内科医が、そばにいた外科医(イケメン)に「一緒に見てもらえませんか」というと、アッサリ「あるじゃん」という感じで鼠径部に飛び出たピンポン玉大の瘤みつかる。
にわかにざわつく医師看護師たち。「コレいつから有りました?」と言われても、いやいや、こんなの有りませんでした!とあわわの私。気づかないレベルの大きさじゃない。瘤を見ても内科医は、「腹痛とは関係無いでしょう、皮膚科かなぁ?」なんて言ってたが、外科医(イケメン)が「いやこれ連続してない?(ヘルニアじゃないか)」と言って再検査、鼠径ヘルニアの嵌頓(筋膜から腸の一部が飛び出て戻らなくなる、いわゆる脱腸)見つかる。
出てしまった小腸を戻すべく、何度も何度もグイグイちょっと休憩して(その間も痛い)またグイグイ。痛くて痛くて息もできないのに「それじゃ戻らないから力抜け、深呼吸しろ」と言われる、いつ終わるとも知れない拷問、まさに出産の如し
あと10分やって戻らなかったら危険もあるので緊急手術、と言われて数分後、ポコ!っと戻る。その数分後、やっと息をついて寝転がれるように。
もしもっと時間が経って飛び出た腸が壊死してたら、命にかかわる状態だったそう。救急車呼んで本当に良かった。あとイケメン外科医が画像見て気づいてくれて良かった)。自分の人生が突然終わるかもしれなかった初めての体験。

つづく。

写真はベッドからみた病室の窓。

【ご報告】入院しました。

11/1の夜、稽古場で腹痛がひどくなり救急車を呼んでもらい、そのまま入院しました。
鼠径ヘルニアの嵌頓(腸の一部が飛び出て戻らなくなる)で、なんとか整復し昨日無事に手術を終えました。
現在は痛くてつらいけど、なんとか食べたり歩いたりできます。近日中に退院できそうです。方々にご迷惑おかけしてます。

 

女38歳、今まであまり危ない目にあってなかったのですが、現在、そして今後の生き方を考えさせられました。どうやって生きていこう、これから。


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術後の俺。